パタンナーとして培ってきた技術と
米農家として育んできたもんぺ愛を込めて新潟から
日本酒造りをやりたいという夫と東京から新潟上越の山間部へ移り住みました。東京への往来をしながらパタンナーと米農家という2足のわらじ生活を送っています。米作りの作業着としてもんぺを履き、機能性や着心地を知ることで「こんなシルエットならもんぺはもっと履いてもらえる」とパタンナー的視点が生まれました。と同時にパターンをひいて20年、流行に流されない、長く愛される確かなモノづくりをやりたいという気持ちが強くなっていきました。
『亀田縞にパタンナーとして培ってきた技術と、育んできたもんぺ愛を込めてオール新潟のモノづくりをやりたい。』
最も得意とするパンツパターンでもんぺ製作所を立ち上げました。
着用時の正面からの美しさにこだわり、縞がまっすぐ見えるパターンを設計しました。
現在市場に流通している多くのもんぺは着物生地巾(着尺)で作られていた名残から脇が「わ」のもんぺとなっており、前後パーツがつながっています。(下図)従来のもんぺパターンで縞の生地のもんぺを作った場合、着用時に縞が斜めに傾きV字のような見え方になってしまいます。美しい縞をまっすぐ垂直に通したいと考え、もんぺ製作所では服装解剖学見地から脇が「ハギ」になるよう設計をしました。脇を「ハギ」にすることで、脇ポケットのデザインが可能となり、後ろにもアウトポケットを作り、デザイン性と日常生活に必要な実用性も兼ねました。同時に前股部分のもたつきも解消され、スッキリと美しいシルエットを実現しました。
ブランドの特徴である脇「ハギ」パターンを桜の花のように表現しました。
亀田縞をイメージした藍色を用い、家紋のような形には新潟から世界への想いが込められています。
文化服装学院で『服装解剖学』という、人体の構造を学びパターンと関連付けるという学問と出会い、パタンナーの道へと進みました。華やかなファッションの世界のどんなデザインにも人体の構造に沿った着心地や機能性をパターンに落とし込んでいることを知り、魅せられたのです。商品の仕上がりはパタンナーの腕に左右されると言われるくらい、重要な役目を担うやりがいのある仕事です。
亀田縞と初めて出会った時のことはよく覚えています。亀田縞の美しさ、優しさ、素朴さ、温かさに魂が揺さぶられたのは雪国という厳しい自然環境とともに生きる新潟の人々の体温が伝わってきたからだと思うのです。新潟の各地の風土と技術の粋をもんぺに乗せてお届けいたします。
新潟県上越市吉川区は国道も鉄道の駅もない人口約4000人のまち。最奥の源(みなもと)地区、大賀集落で暮らしています。
大賀へ移り住んですぐの春から集落の財産である棚田で念願の米づくりをはじめました。米づくりをとおしてつくる幸せ、食べる幸せを感じられるということは最高の贅沢だと感じています。田植えと同時に畑を耕し、無農薬での野菜づくり、初夏には昔ながらの梅干しづくり、吉川在来種の青大豆を栽培して手前味噌づくりなど、いつの間にか家族揃っての恒例行事となりました。日本有数の豪雪地のダイナミックな四季の移り変わりの中で五感や六感までもが刺激され、創作意欲が掻き立てられます。パターンをひいていて行き詰ったときには気分転換に鎌や鍬をもって棚田へ行き、一汗かく。そんな暮らしをしています。
手に職があったことは移り住む際の大きな支えとなり、移り住んだ後も助けられています。都市部から依頼されるパターンの仕事と天領地だった大賀での米づくりを組み合わせていた2足のわらじの暮らしからもう1歩踏み出しました。3足目のわらじなのでしょうか。それがもんぺ製作所です。もんぺは実際の農作業で何度も履いてテストをし、みなさまのもとへ送り出せるものとなりました。
新潟の中山間地に住み続けようとする人が生きる糧を持つことができる、海辺で暮らしながら作り出すことで幸せを感じることができる。そんな暮らしや価値観をもんぺをとおして生み出したいと考え、縫製は主にパタンナーを含めた新潟の山間や海辺の女性たちが担当します。かつて新潟上越の山間部にも女性の働く場を作っていた縫製工場があり、工場がなくなった今、技術を持て余しているという縫い子さんと出会いました。そんな縫い子さん、縫製を任せられる美しい手を持った女性たちがこの度技術を磨き、ソーイングアーティストとして1着ずつ裁断、1針ずつ丁寧に縫製をいたします。
1本の糸が亀田縞という織物になるまではいくつもの工程と職人の経験と技術が存在しています。
安価な海外製品の流入が続く繊維業界の中で技術を磨き奮闘している亀田、栃尾、見附。全国に誇る高い技術を持つ新潟繊維産業をご紹介いたします。
明治4年創業。140年以上の伝統を持つ『紺屋』。
栃尾の良質な水で染色加工を行い、新しい需要を創造する新鮮なカラーを多彩に染め上げる職人、最新鋭の染色機械と優れた研究陣がユニークな『色の世界』を開発しています。
伝統的な6つの先染め染色と共に特殊染め、製品染めなど新しい技術も追求。自ら『古くて新しい』専門メーカーとうたい、栃尾産地にのみ残った染色もしっかりと守り続けています。
Web:https://www.minatoya.co.jp
亀田郷で稲作に従事した農民が作り出した泥や水に強い綿織物。戦後姿を消してしまった亀田縞は亀田という産地の生き残りを賭けた中営機業三代目中林照雄氏によって復活しました。
丁寧に織り込むことによって生まれる藍色の美しさと無限に続く縞模様。着るほどに増す着心地と素朴な風合い、そして愛着。
亀田縞の美は昔ながらの織機と職人の手によって生み出されるのです。
Web:http://kamedajima.com/
中営機業で織りあがった「生機(キバタ)」は整理工場を経て1枚の生地となります。毛羽を落としたり、防縮加工を施すのは整理加工場の仕事です。
同じ生機でも柔らかさや風合いの違いを出すことができる整理加工技術。そんな整理加工場は日本の各産地内から姿を消しつつあるのです。高度な付加価値をつける風合加工や特殊技術の開発も行い、他産地では真似できないオリジナリティ豊かな特殊風合加工を提供しています。